2011年06月13日
スメルシュ
先生のひとりごと 「スメルシュ」
4月のタミール地区の夜は穏やかながらも世界中から集まった人々の熱気に包まれているかのようでした。
ここはネパールの首都カトマンズにある外国人が集う繁華街です。わずか数百メートルの狭い道なりに多くのホテルやレストラン、商店街が集います。
半年ぶりに訪れたこの地。しかし、夜の光景の中では明らかに変化のあるものがありました。
それは・・・ストリートチルドレンの多さです。彼らは繁華街から少し離れた道路沿いに寝、夜9時ごろを過ぎると外国人に食料やお金をねだりにくるのです。
5,6名で一つの集団を作りやっていますが、その数は確実に増えていました。
しかも・・・
彼らのうちの数名が空腹を満たすためでしょうかシンナーをやりながら歩いています。回し飲みしている様子もうかがえました。
そして西洋人を見つけては食料やお金をねだり続けるのです。
そんな中、私は一人の少年と話す機会がありました。彼の名はスメルシュ、11歳。
私は近くのパン屋で買った丸い大きなパンを二つ手にし、座ってシンナーをする彼に近づきました。
「やめなさい」という言葉も彼らには何の効き目もありません。スメルシュもいったんシンナーから口を離しましたが、すぐにでも続ける様子でした。
しかし、私の手にあるパンを見つけた彼の目の色が一瞬、変わりました。
彼はズボンの左側ポケットにシンナーの入ったビニールをしまい、差し出したパンを手に取りました。
その時にはもう彼の目はシンナーをするうつろな眼ではありませんでした。
彼は仲間に均等にパンをわけました。遠くでその光景を見つけた小さな子供たちが一人、また一人と走ってやってきました。
スメルシュはそんな仲間にもパンをしっかり分け与えました。自分の分がだんだん少なくなっても半分ずつわけながら仲間に与えていきました。
・・・・・彼らはこれまでもきっと、そんな風に生きてきたのでしょう。
寒い夜には互いの身体を重なり合わせ、空腹のときには分け合い・・・・
スメルシュは私が手に持っていたカメラで自分を撮ってほしいといいました。何気なく、周りの仲間たちにもカメラを向けると彼らは一様に両手で顔をふさぎます。
ストリートチルドレンの多くが写真を嫌がっていることをはじめて知りました。
親から捨てられた子、あるいは親の虐待から逃げてきた子、いろんな理由があるのでしょう。
ストリートでの生活を続ける彼らの多くが「これは自分が望む生活、本当の自分の姿ではない」と感じているのかもしれません。
スメルシュだけを正面から見据えシャッターを押しました。
精悍な顔つきの彼がしっかりと写っていました。
「僕を忘れないでくれ」と彼は言いました。そして「またきっと会おう」と続けました。
別れ際、果物を乗せたリヤカーが目の前を通りました。
彼らに「果物も欲しいかい」ときくと、遠慮がちに「うん」と答えました。そして彼らは屋台の大人をこう説得したのです。
「彼(私の意)が外国人だからといって高く売りつけないで、彼は僕らのためにこの果物を買おうとしているのだから」
屋台の店主は「わかっているよ」というふうにたくさんの果物を袋につめました。
・・・・・・・・・
世界にはこんな子供たちがたくさんいます・・・・
そんな光景を眼にするにつけこう思います
私たち先進国の人間は何をすべきなのか、何ができるのか。
・・・・・
それができたとしても果たして何人を救うことができるのか
・・・・・
しかし、彼らは今日もたくましく生きているはずです。時にやるせない気持ちを仲間にぶつけながらも互いを必要とし生きているでしょう。
あの分け合うごとに小さくなっていったパン。それでも当然のように分け続けた少年。
彼らが教えてくれた人として大切なことを果たして私にもできるのか・・・
スメルシュのカメラに写ったあの精悍な顔つきはどんなメッセージを発しているのか
・・・それを理解するのはもっとあとのことかもしれません。
4月のタミール地区の夜は穏やかながらも世界中から集まった人々の熱気に包まれているかのようでした。
ここはネパールの首都カトマンズにある外国人が集う繁華街です。わずか数百メートルの狭い道なりに多くのホテルやレストラン、商店街が集います。
半年ぶりに訪れたこの地。しかし、夜の光景の中では明らかに変化のあるものがありました。
それは・・・ストリートチルドレンの多さです。彼らは繁華街から少し離れた道路沿いに寝、夜9時ごろを過ぎると外国人に食料やお金をねだりにくるのです。
5,6名で一つの集団を作りやっていますが、その数は確実に増えていました。
しかも・・・
彼らのうちの数名が空腹を満たすためでしょうかシンナーをやりながら歩いています。回し飲みしている様子もうかがえました。
そして西洋人を見つけては食料やお金をねだり続けるのです。
そんな中、私は一人の少年と話す機会がありました。彼の名はスメルシュ、11歳。
私は近くのパン屋で買った丸い大きなパンを二つ手にし、座ってシンナーをする彼に近づきました。
「やめなさい」という言葉も彼らには何の効き目もありません。スメルシュもいったんシンナーから口を離しましたが、すぐにでも続ける様子でした。
しかし、私の手にあるパンを見つけた彼の目の色が一瞬、変わりました。
彼はズボンの左側ポケットにシンナーの入ったビニールをしまい、差し出したパンを手に取りました。
その時にはもう彼の目はシンナーをするうつろな眼ではありませんでした。
彼は仲間に均等にパンをわけました。遠くでその光景を見つけた小さな子供たちが一人、また一人と走ってやってきました。
スメルシュはそんな仲間にもパンをしっかり分け与えました。自分の分がだんだん少なくなっても半分ずつわけながら仲間に与えていきました。
・・・・・彼らはこれまでもきっと、そんな風に生きてきたのでしょう。
寒い夜には互いの身体を重なり合わせ、空腹のときには分け合い・・・・
スメルシュは私が手に持っていたカメラで自分を撮ってほしいといいました。何気なく、周りの仲間たちにもカメラを向けると彼らは一様に両手で顔をふさぎます。
ストリートチルドレンの多くが写真を嫌がっていることをはじめて知りました。
親から捨てられた子、あるいは親の虐待から逃げてきた子、いろんな理由があるのでしょう。
ストリートでの生活を続ける彼らの多くが「これは自分が望む生活、本当の自分の姿ではない」と感じているのかもしれません。
スメルシュだけを正面から見据えシャッターを押しました。
精悍な顔つきの彼がしっかりと写っていました。
「僕を忘れないでくれ」と彼は言いました。そして「またきっと会おう」と続けました。
別れ際、果物を乗せたリヤカーが目の前を通りました。
彼らに「果物も欲しいかい」ときくと、遠慮がちに「うん」と答えました。そして彼らは屋台の大人をこう説得したのです。
「彼(私の意)が外国人だからといって高く売りつけないで、彼は僕らのためにこの果物を買おうとしているのだから」
屋台の店主は「わかっているよ」というふうにたくさんの果物を袋につめました。
・・・・・・・・・
世界にはこんな子供たちがたくさんいます・・・・
そんな光景を眼にするにつけこう思います
私たち先進国の人間は何をすべきなのか、何ができるのか。
・・・・・
それができたとしても果たして何人を救うことができるのか
・・・・・
しかし、彼らは今日もたくましく生きているはずです。時にやるせない気持ちを仲間にぶつけながらも互いを必要とし生きているでしょう。
あの分け合うごとに小さくなっていったパン。それでも当然のように分け続けた少年。
彼らが教えてくれた人として大切なことを果たして私にもできるのか・・・
スメルシュのカメラに写ったあの精悍な顔つきはどんなメッセージを発しているのか
・・・それを理解するのはもっとあとのことかもしれません。
Posted by 比嘉正央 at 10:07│Comments(0)
│先生のひとりゴト