2014年01月30日
日本ハム監督 栗山という男
お断り
この記事は沖縄で発行される野球雑誌に寄稿したものです。3回シリーズの1回目の原稿となります。
日本ハム監督 栗山という男
昨年のプロ野球開幕。
その日を私自身、特別な思いでこの日を迎えていました。
それは
大学時代を共に過ごした心友、栗山英樹が初采配を振るう日だからです。
試合は予想通り、素晴らしい展開となりました。
斉藤の先発、そして完投。
持っている男が「背負っている男」に変貌する日でもありました。
しかし、監督の栗山という男。
彼こそ「持っている男」たと思います。
プロの世界から見ると決してハイレベルとは言えない私たちの大学の野球部。
それでも皆、夢に向かって一生懸命でした。
歓喜の日もあれば苦しい日もある。負けて皆で涙するときも・・
しかし、栗山はどんな時でも皆に優しく、弱音をはかない男でした。
彼が先輩や後輩も含めて皆に与えた愛や優しさはどれほどたくさんで大きなものだったでしょうか。
私は彼が与えたものが彼にしっかり帰ってくる奇跡を何度も目の当たりにしました。
彼の元に集まってくる幸運。試合でいうならば、勝敗を決定するチャンスで彼にプレーの機会が巡ってくる。そしてそこで結果を出す彼の底力。
そしておごらず謙虚な姿勢を貫き皆に配慮する誠実さ・・・
テレビの画面から感ずる彼の人柄のよさもそれはほんの一部なのです。
ダルビッシュが抜けた昨シーズンの日ハム。評論家は誰もがBクラスを予想していました。しかし結果は見事優勝。それにはどんな理由があったのでしょう。
私が思うにそれは監督の人間愛そのものだったと思います。彼は常に選手を信じ、自ら積極的に心を開き話し合い、彼らの能力を引き出していきました。選手からも監督を信じる言葉、「監督のために」という言葉がたくさん聞かれました。。
教師の世界でも「教師が生徒を信じれば能力が上がっていく」という興味深い実験結果があります。つまり栗山監督は人として最も大切な「人間愛」を厳しい勝負の世界で貫いていったのです。その意味においても彼の野球はこれまでのプロ野球界にある風潮とは違うものを見せてくれたと考えています。
次回からは彼の人間味あふれるエピソードやシーズン途中で彼が私に話してくれた興味深い話を紹介したいと思います。
この記事は沖縄で発行される野球雑誌に寄稿したものです。3回シリーズの1回目の原稿となります。
日本ハム監督 栗山という男
昨年のプロ野球開幕。
その日を私自身、特別な思いでこの日を迎えていました。
それは
大学時代を共に過ごした心友、栗山英樹が初采配を振るう日だからです。
試合は予想通り、素晴らしい展開となりました。
斉藤の先発、そして完投。
持っている男が「背負っている男」に変貌する日でもありました。
しかし、監督の栗山という男。
彼こそ「持っている男」たと思います。
プロの世界から見ると決してハイレベルとは言えない私たちの大学の野球部。
それでも皆、夢に向かって一生懸命でした。
歓喜の日もあれば苦しい日もある。負けて皆で涙するときも・・
しかし、栗山はどんな時でも皆に優しく、弱音をはかない男でした。
彼が先輩や後輩も含めて皆に与えた愛や優しさはどれほどたくさんで大きなものだったでしょうか。
私は彼が与えたものが彼にしっかり帰ってくる奇跡を何度も目の当たりにしました。
彼の元に集まってくる幸運。試合でいうならば、勝敗を決定するチャンスで彼にプレーの機会が巡ってくる。そしてそこで結果を出す彼の底力。
そしておごらず謙虚な姿勢を貫き皆に配慮する誠実さ・・・
テレビの画面から感ずる彼の人柄のよさもそれはほんの一部なのです。
ダルビッシュが抜けた昨シーズンの日ハム。評論家は誰もがBクラスを予想していました。しかし結果は見事優勝。それにはどんな理由があったのでしょう。
私が思うにそれは監督の人間愛そのものだったと思います。彼は常に選手を信じ、自ら積極的に心を開き話し合い、彼らの能力を引き出していきました。選手からも監督を信じる言葉、「監督のために」という言葉がたくさん聞かれました。。
教師の世界でも「教師が生徒を信じれば能力が上がっていく」という興味深い実験結果があります。つまり栗山監督は人として最も大切な「人間愛」を厳しい勝負の世界で貫いていったのです。その意味においても彼の野球はこれまでのプロ野球界にある風潮とは違うものを見せてくれたと考えています。
次回からは彼の人間味あふれるエピソードやシーズン途中で彼が私に話してくれた興味深い話を紹介したいと思います。
2014年01月20日
バラの贈り物 NEW
このエッセイはだいぶ前に一度書いたものですが、思うところあってもう一度あの時を振り返り、思い出しながら書いてみました。よろしければお読みください。
バラの贈り物
もうだいぶ前の話です。そう、もう20年近く前。
私はその夏、南インドの小さな町でホームステイをしていました。
精神的な成長を求めてこの地を訪れたのです。
ホームステイといっても離れのひと部屋を借りるだけなのですが、そこは水道もなく湧水をすくって日常を送っていました。
お昼休み、私はお寺の近くにある大木の下に座って本を読むのが常でした。
インドの暑い夏。しかしそこだけは、木陰に包まれ、いつも爽やかな風が吹いているのです。
やがて地元の子供達と仲良くなるようになりました。そこには学校に行けない子供も多くいて、私がノートを差し出し、「ここに何か書いてみろ」というと子供たちは喜んでそこにいろんなものを書いてくるのです。
自分の名前を書いたり、数字の100までかけることを自慢する子などなど・・
そして、仲良くなった彼らの傷の手当てを日本から持ってきた消毒液とリバテープを使って行うようになりました。
彼らの多くが裸足で生活しています。身体中に小さな傷跡が無数にあります。
ほんの小さな手当に過ぎませんでしたが、彼らはそれをとても喜んでくれました。
そんなある日、若いホームレスのお父さんが2歳くらいの子を連れてやってきました。
「私の息子を治して欲しい」、彼はそう言いました。
彼の奥さんは道端で物乞いを行っていて、その子のことも時々見ていました。
しかし、そのお父さんが子供の傷を見せたとき、それは簡単なものではないことを察しました。男の子の性器の周りに無数の出来物があるのです。
私が行えるのはそこを消毒液で拭く事だけです。しかしそれでも父さんは喜んで両手を合わせて深く私に感謝してくれました。
次の日も次の日もお父さんは子供を連れてやってきました。
「どうすればこの子を治すことができるのか?」そんな思案にくれているとき、たまたま日本人の若い女医がその街を訪れました。
彼女にすぐさま、男の子を診てもらうことができました。
「梅毒の可能性がある」その女医は傷を見てすぐさまこう言いました。
すぐに病院に連れていく必要がありました。もし、梅毒だとしたらそれは両親も感染していることを示し事態はさらに深刻なものとなります。
その翌日、リクシャーという三輪駆動に親子を乗せ、遠く離れた無料で診療を行っている病院に向かいました。
いくつかの検査をし、とうとう日本では見かけない大きな注射が子供に打たれました。
幸い梅毒ではなく、あと一回の治療で子供は完治するとのことでした。
その間も父親は泣き叫ぶ子供をしっかりと抱きしめ、誠実な態度で医者とも向き合いました。
その姿に私は感銘さえ受けました。家もなく、その日暮しの彼らですが、その父親の子供に対する深い愛を感じたのです。
病院からの帰り、私たちは子供服の店に立ち寄りました。
その子は着る服もなくほとんど裸の生活です。衛生的にも彼の服が必要でした。
洋服屋で彼らが選んだのは、10歳くらいの子が着るサイズです。
これであれば、大きくなっても着ることができる、というのがそれを選んだ理由でした。
その数日後、私が日本に帰る日が来ました。
私は知り合いになったリクシャーの運転手にお金を渡し、来週その親子を病院まで連れて行く手配を済ませていました。
親子には知らせずそこを去ろうと思っていました。
しかし、リクシャー乗り場に行くと彼らがそこで待っていました。
「今日帰る」ということを知った彼らは、そこで何時間も私を待っていたようです。
いつもは道端で物乞いをしている母親も一緒で生まれたばかりの乳飲み子を両手に抱いていました。
その家族の一人ひとりがバラの花を持っていました。それは私に贈るためのものでした。
その花を買うために彼らが使ったお金を考えると心が痛みました。
しかし私にとってその贈り物はどんなものにも劣らぬ最高のプレゼントでした。
そのバラを受け取るとき、涙をこらえるのがやっとでした。
やがて私を乗せたリクシャーは、そのエンジンをフルに稼働させ大きな音を出しながら空港へと向かいました。
その途中、リクシャーの運転手が私にこう言いました。
「あの家族は子供の病気を治すために毎日神に祈っていた」
「そしてその祈りに応えてあなたが来た」
私はその言葉の重みを深く感じました。
その家族とのふれあいの中で最高の贈り物を頂いたのは、他でもない私自身であることに気づかされたのです。
やがて夕方を迎えようとするインドの夏空にオレンジ色の龍のような雲が現れました。
それはあまりにも鮮明でさりげなく、そして美しいものでした。
バラの贈り物
もうだいぶ前の話です。そう、もう20年近く前。
私はその夏、南インドの小さな町でホームステイをしていました。
精神的な成長を求めてこの地を訪れたのです。
ホームステイといっても離れのひと部屋を借りるだけなのですが、そこは水道もなく湧水をすくって日常を送っていました。
お昼休み、私はお寺の近くにある大木の下に座って本を読むのが常でした。
インドの暑い夏。しかしそこだけは、木陰に包まれ、いつも爽やかな風が吹いているのです。
やがて地元の子供達と仲良くなるようになりました。そこには学校に行けない子供も多くいて、私がノートを差し出し、「ここに何か書いてみろ」というと子供たちは喜んでそこにいろんなものを書いてくるのです。
自分の名前を書いたり、数字の100までかけることを自慢する子などなど・・
そして、仲良くなった彼らの傷の手当てを日本から持ってきた消毒液とリバテープを使って行うようになりました。
彼らの多くが裸足で生活しています。身体中に小さな傷跡が無数にあります。
ほんの小さな手当に過ぎませんでしたが、彼らはそれをとても喜んでくれました。
そんなある日、若いホームレスのお父さんが2歳くらいの子を連れてやってきました。
「私の息子を治して欲しい」、彼はそう言いました。
彼の奥さんは道端で物乞いを行っていて、その子のことも時々見ていました。
しかし、そのお父さんが子供の傷を見せたとき、それは簡単なものではないことを察しました。男の子の性器の周りに無数の出来物があるのです。
私が行えるのはそこを消毒液で拭く事だけです。しかしそれでも父さんは喜んで両手を合わせて深く私に感謝してくれました。
次の日も次の日もお父さんは子供を連れてやってきました。
「どうすればこの子を治すことができるのか?」そんな思案にくれているとき、たまたま日本人の若い女医がその街を訪れました。
彼女にすぐさま、男の子を診てもらうことができました。
「梅毒の可能性がある」その女医は傷を見てすぐさまこう言いました。
すぐに病院に連れていく必要がありました。もし、梅毒だとしたらそれは両親も感染していることを示し事態はさらに深刻なものとなります。
その翌日、リクシャーという三輪駆動に親子を乗せ、遠く離れた無料で診療を行っている病院に向かいました。
いくつかの検査をし、とうとう日本では見かけない大きな注射が子供に打たれました。
幸い梅毒ではなく、あと一回の治療で子供は完治するとのことでした。
その間も父親は泣き叫ぶ子供をしっかりと抱きしめ、誠実な態度で医者とも向き合いました。
その姿に私は感銘さえ受けました。家もなく、その日暮しの彼らですが、その父親の子供に対する深い愛を感じたのです。
病院からの帰り、私たちは子供服の店に立ち寄りました。
その子は着る服もなくほとんど裸の生活です。衛生的にも彼の服が必要でした。
洋服屋で彼らが選んだのは、10歳くらいの子が着るサイズです。
これであれば、大きくなっても着ることができる、というのがそれを選んだ理由でした。
その数日後、私が日本に帰る日が来ました。
私は知り合いになったリクシャーの運転手にお金を渡し、来週その親子を病院まで連れて行く手配を済ませていました。
親子には知らせずそこを去ろうと思っていました。
しかし、リクシャー乗り場に行くと彼らがそこで待っていました。
「今日帰る」ということを知った彼らは、そこで何時間も私を待っていたようです。
いつもは道端で物乞いをしている母親も一緒で生まれたばかりの乳飲み子を両手に抱いていました。
その家族の一人ひとりがバラの花を持っていました。それは私に贈るためのものでした。
その花を買うために彼らが使ったお金を考えると心が痛みました。
しかし私にとってその贈り物はどんなものにも劣らぬ最高のプレゼントでした。
そのバラを受け取るとき、涙をこらえるのがやっとでした。
やがて私を乗せたリクシャーは、そのエンジンをフルに稼働させ大きな音を出しながら空港へと向かいました。
その途中、リクシャーの運転手が私にこう言いました。
「あの家族は子供の病気を治すために毎日神に祈っていた」
「そしてその祈りに応えてあなたが来た」
私はその言葉の重みを深く感じました。
その家族とのふれあいの中で最高の贈り物を頂いたのは、他でもない私自身であることに気づかされたのです。
やがて夕方を迎えようとするインドの夏空にオレンジ色の龍のような雲が現れました。
それはあまりにも鮮明でさりげなく、そして美しいものでした。
2014年01月12日
新米先生の涙
ある高校で講演後に、一つのクラスからのフォロアップ講義の依頼がありました。
依頼したのはそのクラスの担任で今年先生になったばかりの方です。
先生自身もクラスをどのように良くしていけばいいのか、きっと苦悩していたのでしょう。
打ち合わせで初めて会った時の表情にはそれが少なからず読み取れるようでした。
一通り先生が感じているクラスの課題をおうかがいし、その上で私は「7つの習慣」を基盤とした『人生を成功に導く』価値観についての講義を行うことにしました。
存在する問題に焦点を当てるのではなく、普遍的な人としての価値観に焦点をあてて、生徒に自らの生き方を考えさせようというのが狙いでした。
どんな暗闇にも光をあてればそれはなくなります。人の課題や欠点も同じで良いところを引き出すことができれば、課題も自然と克服していることになるのです。
実際の講義をはじめると、子供たちの表情から確かにクラスへの満足度の低さ、そしてどこに向かっていけばいいのかつかめないもどかしさから来るエネルギーの滞りを感じました。
そんな中でも、心優しい生徒らは私を暖かく迎え入れ講義も順調に進んで行きました。
しかし、私は内容を盛りだくさんで用意してしまい、講義内容を最後まで伝えることができませんでした。しっかりとしたまとめができないまま終わりの時間がきてしまったのです。
授業の終わりを告げる鐘が鳴り続けていました。
その締めをするために担任であるその1年目の先生が教室の前へ歩み出ました。
その時、思いもつかない事態が起きました。
その先生は、「今日の学習をみんなにしてもらって本当に良かった」と言葉を出しながら突然、涙をこぼしたのです。その後は泣きながら私への謝意を伝えました。
先生が涙を流したその瞬間、生徒たちの視線は先生へ釘付けとなりました。彼らの先生を見る眼差しは真剣で温かみのあるものだったように思います。
その涙が導いたこの瞬間の雰囲気こそがこのクラスに一番必要なものだったと思います。
先生の人間味を、先生の苦悩を、そして何よりも先生の自分らへの「愛」を生徒たちは感じたのではないでしょうか。
私が車で学校を去るとき、先生は礼儀正しくそして爽やかな笑顔で見送ってくれました。
12月だというのに暖かな日差し。そして爽やかに吹く風があまりにも先生とマッチしていました。
依頼したのはそのクラスの担任で今年先生になったばかりの方です。
先生自身もクラスをどのように良くしていけばいいのか、きっと苦悩していたのでしょう。
打ち合わせで初めて会った時の表情にはそれが少なからず読み取れるようでした。
一通り先生が感じているクラスの課題をおうかがいし、その上で私は「7つの習慣」を基盤とした『人生を成功に導く』価値観についての講義を行うことにしました。
存在する問題に焦点を当てるのではなく、普遍的な人としての価値観に焦点をあてて、生徒に自らの生き方を考えさせようというのが狙いでした。
どんな暗闇にも光をあてればそれはなくなります。人の課題や欠点も同じで良いところを引き出すことができれば、課題も自然と克服していることになるのです。
実際の講義をはじめると、子供たちの表情から確かにクラスへの満足度の低さ、そしてどこに向かっていけばいいのかつかめないもどかしさから来るエネルギーの滞りを感じました。
そんな中でも、心優しい生徒らは私を暖かく迎え入れ講義も順調に進んで行きました。
しかし、私は内容を盛りだくさんで用意してしまい、講義内容を最後まで伝えることができませんでした。しっかりとしたまとめができないまま終わりの時間がきてしまったのです。
授業の終わりを告げる鐘が鳴り続けていました。
その締めをするために担任であるその1年目の先生が教室の前へ歩み出ました。
その時、思いもつかない事態が起きました。
その先生は、「今日の学習をみんなにしてもらって本当に良かった」と言葉を出しながら突然、涙をこぼしたのです。その後は泣きながら私への謝意を伝えました。
先生が涙を流したその瞬間、生徒たちの視線は先生へ釘付けとなりました。彼らの先生を見る眼差しは真剣で温かみのあるものだったように思います。
その涙が導いたこの瞬間の雰囲気こそがこのクラスに一番必要なものだったと思います。
先生の人間味を、先生の苦悩を、そして何よりも先生の自分らへの「愛」を生徒たちは感じたのではないでしょうか。
私が車で学校を去るとき、先生は礼儀正しくそして爽やかな笑顔で見送ってくれました。
12月だというのに暖かな日差し。そして爽やかに吹く風があまりにも先生とマッチしていました。
2014年01月10日
ある中学での職員研修
ある中学校での職員研修に呼んでいただきました。
知り合いの先生の計らいで、放課後有志の先生方10名で90分間行いました。
この研修は私の講演後のフォローアップとして行われたもので、子供たちの人間的成長を促すための具体的な行動プランを共に考えていこうという目的がありました。
その中でいくつかのテーマを私が上げ、それに関する先生方の意見や考えを述べていただきました。
先生方の言葉一つ一つには感動させられるものがたくさんありました。教師としての使命や子供への愛情を感じさせられる意見が多く出されました。コーディネートする私も癒されるかのようでした。
苦悩しながらも何とか前へ進もうとするその姿勢に改めて現場で奮闘する先生方の偉大さを感じたものです。
そしてこの研修は私にとっても意義あるものでした。先生方の内面にある思いを引き出し、それを言葉にすることで共有できる教師同士の連帯を生み出していく手法の自信を得ることができました。
教師の人間性はとても重要なものです。
しかし、それは関係ないと主張する先生にも少なからず会ってきました。
完璧にはできなくとも常に自分が成長しようとする姿勢を子供に示すのはとても大切なことです。
この学校では2週にわたり私が授業を行います。そしてまとめの3時間目には各担任が行うことになっています。
教師と生徒が信頼を築いていけるようなそんなきっかけにしていきたいと思っています。