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Posted by TI-DA at

2011年05月27日

逆上がり

あれは、28年前のこと。
私は東京都にある全国有数の進学高校で教育実習を体験していました。

はじめての体育実技の授業は高校1年生を対象とした鉄棒でした。
学習活動のメインは鉄棒の上でおなかをつけたまま一回転する前周り。

私はそれにいたる導入に逆上がりを入れました。

授業は全員男子。誰もが簡単にできると読んで入れたその導入の逆上がり。しかし、それができない生徒が一人いたのです。

そのちょっと小太りの生徒の雰囲気は明らかに他の生徒とは異なっていました。その集団の雰囲気とは彼だけが異質な感じさえ受けていました。
あとになってわかったのですが、彼はカンボジアからの留学生でした。
約30年前といえばポルポト政権の爪あとが色濃く残っているときでしょう。
彼はそんな国の復興のために、将来のリーダーを期待されて国が派遣した学生の一人だったのです。

 逆上がりができないといってもたかが導入です。それを飛ばしてメインの活動に移ってもよかったでしょう。

 しかし、彼の取り組みは、導入といえども真剣そのものでした。目の前にあるできない物に対して彼は降参をしませんでした。あきらめる気配すら見せないのです」。

 やがて、鉄棒の得意な数名の生徒が彼の周りに集まりました。授業はもはや、計画されたものより彼がその逆立ちをできるか、というところに焦点がうつっていました。

 生徒たちのいろいろな工夫がはじまりました。重たい身体を持ち上げ、鉄棒の上に上がるためには何が必要か、皆が自分のことはそっちのけで彼のために考えました。

 そんな皆の気持ちをありがたいと思ったのかもしれません。その授業の主人公となった留学生は休むことなく何度も何度も果敢に挑戦し続けました。

 そして・・・・・

 とうとうできたのです。その授業が後数分で終わってしまうという、その時に・・できたのです。彼にとっての人生最初の逆上がりが・・・

 その鉄棒の周りは深い喜びと感動に包まれていました。

 彼は何度も何度も皆に向かって「ありがとう」を繰り返しました。それまで微妙にあった彼とクラスメートとの距離感はすでに解けていました。

教育実習の多くの実習生や指導教諭が観察してのその授業。授業後の反省会では、次のことがメインで討議されました。
「学習内容を変更してまで、その逆上がりにこだわる必要があったのか」「メインである前周りを計画とおりやるべきでなかったか」
 ・・・そんな意見が大半を占めていました。

 あの時、てっきり感動を共にしてくれるものとばかり思っていた私は不意打ちをくらったような気持ちになったのを覚えています。

 あれから保健体育教師として依願退職するまでの26年間。時折,あの時のことが蘇りました。
 何度考え直しても、やはり、「あれでよかった」という私の結論は変わることはありませんでした。

 卒業して母国のカンボジアに帰った彼。40代半ばを迎えただろう彼は、生きて、そして期待された国のリーダーの一人として貢献しているのでしょうか。

 彼のその後のたくさんの人生経験からすれば、あの授業はほんの1時間。取り組んだものはほんの一つの種目だけ・・・

 しかし・・・彼が克服した自信、あきらめなかった気持ち
 そして、皆への感謝  共有した喜び

 それがどこかで彼の人生に生きていて、そして力になってくれているような、
 そんなことを私は勝手に願っているのです。

  


Posted by 比嘉正央 at 17:24Comments(2)先生のひとりゴト

2011年05月25日

チャレンジ

Rのチャレンジ
(これは人権メンバーの若者Rが東京に旅立つときに贈ったエッセーです)

 いよいよRが沖縄を離れ、自分の人生へのチャレンジへと向かいます。
 若者の安定志向、チャレンジ精神のなさが叫ばれる今日、彼の行動は若者本来の精神を思い出させてくれるかのようです。

 世間一般では無謀な生き方と、とらわれてしまいがちな中、彼には自分にしか見えないレールをしっかりと捉えているのです。

 人は一度きりの人生で自分を活かすべく、「好きなことを思い切りやる覚悟」が必要です。人生はまさにチャレンジです。

 彼はいくつかの欠点も抱えています。しかし、彼の可能性の大きさや人々へ与える影響の大きさを考えれば、それは塵みたいなものです。
 様々な人々との出会い、新たな経験から多くのことを学び、よりたくましい人へと成長することを願います。

 彼が「俳優になりたい」と語ったとき、周囲はそれを嘲笑しました。しかし、彼は確実にその道を歩んできています。彼は語ることをそれだけでなく、しっかりと行動にうつすことのできる数少ない人間の一人です。

 さあ、行ってらっしゃい。自分を信じて歩みなさい。すべての経験が必要だから起こっていることを常に意識していなさい。宇宙にいつも意識を向け、そこから来るメッセージを受け取りなさい。
 皆が君のことを大切に思っています。そして、必要としています。
 君の成功を信じ、心からエールを送ります。   


Posted by 比嘉正央 at 14:12Comments(0)先生のひとりゴト

2011年05月25日

「贈る言葉」

先生のひとりごと  「贈る言葉」
(これは女性の身体で生まれ、男性として生きていく決意をした、性同一性障害の若者について書いたものです)

 人権メンバーの何人かが自分の夢に向かって沖縄を旅立っていきました。
 3月にシャンティ(首里にあるカフェ)で開かれたU子の送別会・・
 皆で食事を楽しんだ後、一人ひとりからU子へ「贈る言葉」が語られました。
 参加者は16,7名。
 その何番目かに語った一人の「その語り口」に先生は目を留めました・・・・

 それは‘M‘でした。

 Mは高校時代からこの演劇に携わっています。光の扉を開けての3人娘の一人を演じたこともありました。卒業してからも重要なメンバーの一人です。
仕事で忙しくてもいつも本土公演に参加してくれています。行けない状況があるとしても、「結局は必ず行くことになる」から不思議です。Mが行かなくてはならない流れが自然と間際になって出来上がってくるのです。

 さて、その「贈る言葉」のあいさつ。語る内容もさることながら、その語り方が意気のあるものでした。日ごろ胸のうちを語らない人が語るときの奥ゆかしさがありました。そうなると、言葉の一つ一つが味のあるものになります。そう、映画俳優の高倉健さんのような雰囲気です。

 昔はそういう男が一人二人いたような気がします。そしてそんな男は必ずといっていいほど女の子から人気がありました(今もいるかもしれませんが・・)。

 悟りにも近い深い理解があり、それを体現できる人の力は真の強さを持っています。
 そんな深さや強さを短い言葉の中で‘M‘は感じさせてくれました。

 話は変わり、5月14日土曜日。性同一性障害をテーマとした演劇が那覇市内で披露されました。それはそれは素晴らしいものでした。先生とっては予想以上の出来栄えで、かんたんに言葉で語れないくらいのものでした。

 Mはその劇で主役を務めました。
 Mは一つ一つのせりふをしっかりと自分の気持ちと同化させメッセージを伝えました。  
M自身がひとつのものを突き抜けたような、そんなものを感じさせてくれました。

 「自分らしく生きる」、それはどんなものでしょうか。皆がその答えを知りたがっています。

・・・・しかしその答えは意外とシンプルなものかもしれません。

 すべてが完璧、それでいい・・・

 劇の中にそんなセリフがありました。

 無条件に今の自分を愛すること・・・それを受け入れることからはじまる何かがありそうです。
 Mの生き方が誰かを支える力となる・・・きっとそんな生き方をMは貫いていくのでしょう。
  


Posted by 比嘉正央 at 14:03Comments(0)先生のひとりゴト

2011年05月25日

愛の人

先生のひとりゴト  「愛の人」
(この手記は5人の仲間とインド・ネパールを旅したときのものです)
 南インドのプッタパルティを離れた後、私たち一行はネパールの首都、カトマンズへと向かいました。
 ネパールはヒマラヤの麓にあり、人々がどことなく沖縄にも似ている安心出来る地でもあります。しかし、政治の不安定さもあり、経済発展が滞っていて、貧しい人もたくさんいます。ちなみに教員の給料が1〜2万円程度ということからも国の実情をはかることができるでしょう。

 ホテルに着いた後、私たちはタミール地区へと向かいました。そこは、小さな街並みに観光客のための商店街やホテル、そして世界遺産のお寺などが立ち並ぶ活気あふれる街でもあります。

     そこに向かう途中の出来事でした。

 国の施設の前の道端で物乞いをしているハンセン病の方がいました。私には男性か女性かもわかりませんでした。ただ、この病気の特徴でもある顔の変形からハンセン病者であることはすぐにわかりました。

 私のあとに続く、その方をみつけたM子さんがすぐに駆け寄りました。しゃがんでその方と同じ目線にたった彼女は、その方の指のない手をしっかりと握り締め、「がんばってよ」と何度も日本語でエールをおくりました。

 その方も嬉しそうにM子さんと同じくらいの素敵な笑顔で微笑みをかえしました。

 そこには、保護するものとされる者、与える者と与えられる者、病気であるか否か、国、性別の違い、それらすべてを超えたものがありました。
二人のほんの数十秒の触れ合いの中にそれが確かに存在したのです。
 それはあまりにも素晴らしく『永遠』ともいえる時間でした。開かれた心と心、短くとも『愛』あるところには言葉では伝えきれないものがあるのです。


 私のこの旅の中で最も印象に残る一シーンを皆さんにお伝えしました。
  


Posted by 比嘉正央 at 13:01Comments(0)先生のひとりゴト