2014年02月01日

前世療法


  その時の私の姿は兵士でした。
私の眼から着ている服と右腰にかざした短剣が確認できました。
自分の顔はわかりません。
しかし、身も心もボロボロになっていることと、戦いに敗れ目の前にある自分の村に「やっと帰ってこられた」、という感覚は確信のように感じていました。

 その時、私の肉体は福岡市内のホテルの一室。ベットの上にありました。
 私は、アメリカ人の専門家から前世療法を受けていたのです。

 ベットに仰向けになりながらも意識ははっきりしている中で、彼の誘導に沿っていろいろイメージを行っていきます。そしてその最中に突然、兵士の自分が姿を現したのでした。  
そのビジョンはあまりにも思いがけずやってきて、自分がこれまで体験したことのない感覚に包まれました。

 小さな国が大国からの不正に苦しみ、その小国の男たちは敵地に乗り込みました。しかし、すべての兵士が命を落とす中で私だけが村の復興のために帰されたのです。

 その帰還が潔いものであったかはわかりません。しかも私の魂はその戦いの最中を見せることはしませんでした。
 村の復興、特に子供たちの教育を担わなければならないという使命感だけを強く感じていました。

 そして、ビジョンは私が家族に見守られ死を迎えようとするところにきました。
 家族は優しく見守っていましたが、誰もがその死を受け入れていたように思います。
家族への強い執着は互いにありませんでした。そこには涙もなく、さわやかな受け入れという感じでした。

 その療法が終わり、私はあまりにも鮮明なその光景を幾度か思い出していました。

 そして、その療法から2年後
 ある本屋で何気なく旅行雑誌に目を通している時に、あの光景に出会ったのです。
 山の傾斜に沿って並ぶ集落。レンガ作りの家々・・・
  
  そこはネパールのゴルカという街でした。
  そしてすぐに私はゴルカを訪れました。
  首都カトマンズからバスで8時間。いくつもの山腹を駆け回りやっとの思いで着きました。
  そこは国王の出生地。大国イギリスと戦った歴史がありました。
  
  ゴルカの時はあまりにもゆっくりと流れており、「時間」に重みがあるようにさえ感じました。

  顔見知りになった少年が、私がこの地を去る時、「自分を日本に連れて行ってほしい」とお願いしてきました。

  やがて彼はここに来ることになるかもしれません。それがどんな形になるかは別として・・・

  初めにネパールを訪れてから約20年。
  私たちはこの地に学校を作ることになりました。  
  
  今年も新入生を25名迎えることになっており、児童数は100名となります。

  ちなみに、私に前世療法を行ってくれた方の名は「ネビル・ロウ」
  彼は男性同性愛者でもありました。前世において、壮絶な戦争を体験し敵の男たちを
 心底、憎みました。彼はその憎しみを「愛」に変えるために同性愛者としての人生を選んだということでした。

   その彼も私が療法を受けた数年後に、登山に出かけ帰らぬ人となりました。
  彼のその肉体の最後がどんな状況だったのかは誰もわかりません。
   しかし、死を間近に迎える彼に「恐怖がなかった」ことだけは察しがつきます。

  肉体を一度離れ帰還した臨死体験者の多くが、生命に終わりがないことと、存在そのものが「愛」であることを悟るようです。

  やがてこの肉体を離れる時に、満足して安らかにそれを受け入れられるかが、大きな課題であるように感じています。
  


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Posted by 比嘉正央 at 12:24│Comments(0)先生のひとりゴト
 
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