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Posted by TI-DA at

2013年12月24日

ある学校での講演後に届いたメール


今年も「人権」や「生き方」をテーマに小学校から高校まで約50校で講演を行いました。
 子供たちはどの学校に行っても素晴らしく、その時々でいろんな感動がありました。
 しかし、時には先生方に対して注意を促したりしました。それは主に、講演会場から出欠点呼後いなくなったり、先生方がおしゃべりしていることに対してです。

 こちらの本気を感じ取ってくれる子供たちは真剣に話を聞いてくれました。50校すべてでおしゃべりをする生徒は一人もいませんでした。
 そしてメッセージをしっかりと受け止めてくれるその感性に私も感動の連続でした。

 ある学校での講演後の夜に下記のメールが届きました。
 それを紹介したいと思います。この素晴らしい生徒の感性を知ってもらいたいと思います。


夜遅くに申し訳ないです。
いきなりごめんなさい。自分は今日、比嘉さんが講演して下さった学校、○○高等学校の三年生の生徒の一人です。
私はどうしても、自分から感謝の言葉を伝えたくて一日でも早くありがとうの気持ちを伝えたく、連絡しました。

私は・・・・・中略
ボランティアはもちろんの事、人助けなどにはとても興味があります。自分は動物がとても大好きです。本当に大好きです。なので動物虐待、動物実験などには絶対反対です。許しません。動物は何も悪いことしてないのに、殺処分しなければいけないこの世の中、私は悔しい気持ちと怒りで涙がこぼれます。人間が人間を虐待するとすぐにニュースでテレビにながれます。でも人間が動物を虐待しても何もなかったかのように世の中は流れるのです。これはほんとにありえません。でもこのように考えてくれる人も思ってくれる人も本当に数少ない今の世の中、わたしはとても心細く、毎日のように動物実験や動物虐待された沢山の動物の写真を見てただ涙が溢れてきて、なにもできない自分に腹が立ちます。でも今日の比嘉さんの講演を聞き、自分の中で何かが変わりました。

それは自分でも分かりません。ですが、自分は一人じゃないんだ!と思わせてくれました。本当にありがとうございます。こんなふうに私達と真剣に向き合ってくれる大人が少なくなってきている中、比嘉さんは諦めずに私達に一生懸命講演してくれました。
あと、私が感動したのは先生方にも教えてくれた、きづかせてくれたことです。
講演してくれた方で先生方にも真剣に向き合ってくれた人は私が生きてきた中で初めてです。本当に驚きを隠せないのと感動がこみあげてきました。私はいじめも経験した事があります。  中略・・

私はその当時、自分が凄く嫌でした。どうして?私だけ?って。疑問ばかりが頭を回ってました。でも今では誇りを持って一日一日を大切に過ごしています。産んでくれたお母さん、毎日私達のために夜遅くまで働いてくれてるお父さん、神様に感謝しています。でも人間は無い物ねだりなので、今の生活では満足しません。十分に生活できる環境だとしても、それより一歩先の満足感を欲しがります。人間はそうゆう生き物なのです。でもこうして比嘉さんのように私達は十分に幸せなんだよ。今の生活に誇りを持って生きることの大切さを気づかせてくれる人がいるおかげで、一人でも多くの人間がボランティアや人助け、人の役に立つことをしてくれると思います。
私はこの3月には高校を卒業し、沖縄で就職することに決まりました。働きながらも動物虐待反対のボランティアや、動物だけではなく、他の貧しい国に自ら足を運び、
その現状を受け入れ一人でも多くの人に国の違いだけでこんなに変わるのだと知ってもらい、その貧しい人々を一秒一分一日でも早く一人でも多くの人を助けたいです。

あともう一つ感謝したい気持ちと謝りたい事があります。それは比嘉さんが講演してる中、1人の生徒が居眠りをしていたこと本当にごめんなさい。自分が比嘉さんだったら自分は真剣に向き合ってるのにそうゆう生徒が一人でもいるとやる気をなくし講演する気もなくなると思います。でも比嘉さんは違いました。見て見ぬ振りをせず、ちゃんと叱ってくれました。私は比嘉さんは本当にいい人だと思いました。先生方も毎日みる光景ですから、諦めるのは目に見えていました。でも比嘉さんはわざわざ話を止め気づかせてくれました。比嘉さんは叱りたくて叱ったわけではないと思いますが、私は感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございます。長々と申し訳ないです。ありがとうと伝えきれたのか不安ですが、本当に自分は感謝しています。本当にありがとうございます。

  


Posted by 比嘉正央 at 12:35Comments(0)先生のひとりゴト

2013年11月11日

昨日のルーン

昨日のルーン

私はこれまで「ルーンの石」による占いを時々行っていました。
ルーンの石とは、古代北欧の人々が使っていたとされる25個の石による占いです。

相談者が袋の中から一つの石を引き取り、それに込められたメッセージを私が解説付きでお伝えするというものです。

昨日一昨日とJICAのフェスティバルでの私たち奉仕団体ブースの一角でそれを行いました。

 延べ12人の方がこれを行ったのですが、やはりこの占いは不思議です。25の石の中で12人に引き取られた石は、わずか4種類でした。その確率はどれくらいのものでしょうか。
そしてその中の半分の方がそのメッセージに涙しました。

 ルーンはその人に選択肢を与える類のものではありません。その人に内面からの深い気づきを与えます。

 この占いを奉仕で行うたびに、不思議さを実感させられます。
 常に見えない何か、それも愛に満ちたものに導かれる感覚を思い出します。

 今そこにある幸せを感じ取れるように・・・
 ある人へ伝えたメッセージは私の心にも響いていました。
  


Posted by 比嘉正央 at 09:15Comments(0)先生のひとりゴト

2013年10月08日

ラストリゾート

ラストリゾート

 30年前。 西表島のはじめの教員時代。
 赤瓦の古民家での生活の中で、それに似合わないステレオで夜音楽を聴く毎日でした。
 雨戸を開けばサッシもなく、すぐ近くの海の方向に向かって音は流れていきます。
 遮るものもなく・・・

 その時に出会った一曲がありました。
 その英語で歌われたメロディの意味はわかりませんでしたが、あまりにもこの風景にマッチし、私の心を強く深く捉えました。

 そして30年たち、再びその曲に巡り合うことができました。

 それはイーグルスの「ラストリゾート」

 ボーカルのあまりにも見事な声質と深さと、その曲の謎めいた歌詞に込められたメッセージに新たな感動を覚えています。

 ずっと探し求めていた曲だったのではないかと思っています。

 以下にインターネットで調べて一番気に入った歌詞を紹介します。
 YOU TUBEで検索すればすぐに動画が見れます。
 ぜひ一度お聞きください。


彼女はプロヴィデンスからやってきた
ロードアイランドの町
そこはヨーロッパの影が
重たくのしかかる
彼女は難民のように夢と希望を荷物につめる
まるで建国の父が海を渡ったように
彼女は人々が微笑む場所のことを耳にした
彼らはインディアンの生き方を語り
いかに土地を愛しているを語った
そして誰もがロッキー山脈へやってきた
身を立てる場所を捜し
あるいは隠れる場所を捜し

混み合ったバーに行く
気晴らしのため
みんな声をかけるのを我慢できない
「向こうにどんな具合だい」
彼はそれを楽園と呼ぶ
意味が分からない
山を切り開くたび
町は盛り上がる

そして冷たい風が砂漠を超えて吹き降ろしていく
西海岸の谷あいを抜けて、マリブ海岸まで
そこでは美しい人々が
権力闘争を演じる
ネオンで道を照らすため
なすべきことを与えるため

金持ちたちがやってきて、土地を凌辱する
誰も止めやしない
たくさん醜い箱を売りに出し、
キリスト教徒がそれを買う
そして彼らはそれを楽園と呼ぶ
そうであるべきものとして
彼らは、海に沈む、まぶしい太陽を見つめる

君は全部捨てて、ハワイに船出することもできる
昔、宣教師たちがまさにそうしたように
彼らは「イエスは来たれり」というネオンサインまで運ぶ
白人の責務を運び、白人と領土を広げ

いったい誰がグランド・デザインを描くのか
何が君ので、何が僕のなのか
だってもうニューフロンティアはないんだから
ここをそれとすることにしたんだ

僕らは果てしない欲望を満たし
血の行いを正当化する
運命の名のもとに、神の名のもとに

そして君はそこの日曜の教会で
目にすることができる
みんな立ち上がり、一緒に歌たう
「天国はなんてすばらしいのか」と
彼らはそれを楽園と呼ぶ
意味が分からない
君がどこかを楽園と呼ぶなら
サヨナラのキスをするまでだ

  


Posted by 比嘉正央 at 15:52Comments(0)先生のひとりゴト

2013年09月12日

愛を生きる人

愛ある人

「人は愛を学ぶためにそれ以外のことを経験する。」

この言葉が当てはまるような方々が私の周りにいます。
ハンセン病回復者の方々です。

 想像を絶する差別・迫害。
 それは家族との離別、家族をもうけることすら許されない仕組み
 他へ感染することなく、治る薬があったにもかかわらず、療養所という名の強制収容所で骨になってもそこを出られない。

 彼らは2000年に国を相手に裁判を起こしそれに勝利しました。

 そして自ら回復者であることを告白し、人権啓発のために頑張っておられる方々。

 彼らが語る言葉はまるで聖典から引き出されたように深く重みのある言葉。
 自らの体験から導き出されたその普遍的な珠玉の言語は多くの人の心を捉えます。
 傍にいるだけでそのエネルギーが伝わり存在感を感じます。
 その存在感とはまさに「愛」です。

 人権啓発の前線に立つ回復者の皆さん。その多くが70歳、80歳代を生きています。
 しかし、普通のおじいちゃんおばあちゃんでは無論ありません。

 人として扱われなかった彼らは、神が与えただろう人としての「生き方」を
 その模範生として「人」を生きているかのようです。

  沖縄の子供たちがハンセン病やエイズをテーマとした演劇を上演します。
   10月14日 午後3時より   沖縄県立博物館
   10月26日 午後1時半より  群馬県 ペイシア前橋
   10月27日 午後3時より   群馬県 草津音楽の森コンサートホール

       問い合わせ  HIV人権ネットワーク沖縄  098-886-1415
                        メール masanaka2@goo.jp

  


Posted by 比嘉正央 at 10:19Comments(0)先生のひとりゴト

2013年07月08日

我が家の犬

我が家の犬

今から約20年前
結婚を機に一匹の犬を飼うことになりました。
当時勤めていた学校の職員からいただいた生後半年のオス犬。
勤務先が美里工業高校だったので妻がビコーと名付けました。

 結婚後のはじめての新居は家賃も安い古い民家。
 ビコーは当初家の中で飼われました。
 仕事から帰り玄関を開けると、待ってましたとばかりいつも飛びついてきました。

 それから2年後、長男が誕生したことでビコーは外で飼われることになりました。
 幸いその民家には広い庭もありました。

 ビコーはとても優しい犬でした。シェパード系の真っ黒な雑種でしたが、優しい目でいつも私たちを見つめてくれました。

 やがて、学校のグラウンドにメスの捨て犬が見つかり、一緒に飼うこととなりました。
 名前は「サイラム」インドの言葉です。
 サイラムは猫に異常な敵対心を抱き、夜中でも猫の姿を見つけると大きく吠えるのです。
 そんなサイラムに時々水をかけ叱りました。

 それから10年以上が立ち、
 ある日の夕方、病気だったサイラムが息を引き取りました。
 そしてそれから数ヵ月後にビコーが亡くなりました。

 サイラムの時は私が、ビコーの時は妻が泣きました。
この2匹が晩年を過ごした家は中古で購入した家でやはり広い庭があります。

 2匹がいなくなった庭は寂しく、私はやがてメスの柴犬を飼うことにしました。
 名前をシータ(インドの女神の名前)。生後3ヶ月でした。
 やがて、シータは猫に対する異常な敵対心を表すようになりました。
 サイラムそっくりです。
 ところがこのシータは猫に大声で吠えたあとは私に怒られるのを察するかのように振舞いました。
 吠えたあとは、水をかけられるのがわかっているかのように、鎖をつけられたまま隅っこに身を隠すのです。

 それから半年後、紹介でやはり柴犬で黒色の犬がやってきました。結局は私の兄の家で飼われることになったのですが、優しい目で不思議なほど私になつくのです。

 犬も生まれ変わる???
 そんなことを当たり前のように感じている私です。

 さてさて、話はここから
 シータはかなりの問題児でした。
 隙あらば、我が家から逃げ出し、動物愛護センターにお世話になることも2度3度ではありません。その度に私は少なくない罰金を払い、引取りに出かけました。
 またある時は、那覇警察署に保護された時もあります。しかも受け取りに行った翌日にも脱走、2日連続での警察所の保護で、その2度目は悟ったように警察署隅の犬小屋に自ら入っていったというのだから笑えます。

 それでも保護をした方々の多くが、飼い主が現れなかったら引き取りたい、と申し出てくれているようで、シータは愛される犬でもあります。
  
 気持ちが落ち込んで帰ってくることがあっても、犬はいつでも喜びいっぱい、私たちを迎えます。そのルーティーンは全く変わることがありません。
 私たちに面倒もかけますがそれ以上に私たちの心を癒してくれているのでしょう。

 このシータも今年で8歳。人間で言うならば立派な成人で、人生のターンを折り返してはいるでしょう。
 シータが旅たつとき、今度は子供たちが涙を流すのでしょうか・・・

 犬は無条件の奉仕を象徴すると言われます。
 その存在に深く感謝しています。
 シータは私たちの立派な家族の一員です。
  


Posted by 比嘉正央 at 16:05Comments(0)先生のひとりゴト

2013年06月15日

サイレントK

ある試合で石井が打ち込まれた。
石井とは日ハムのセットアッパー左腕、石井投手のこと。
連日の救援失敗
TVではベンチで一人落ち込む石井の姿が映し出された。
彼の周囲の空間に入り込んではならない孤独感と悲壮感が漂っていた。

 私はうかつにもこの石井が聴覚に障害を持って中日にドラフト入りしたあの選手だということがわからなかった。6月8日に栗山監督から直接そのことを聞くまでは・・・・

 プロ入りした時のフォームは今となってはかなり安定し、理想に近いリズムで投げている。
 しかし、監督が信頼して使うこの選手のわずか140キロ前後の素直なボールがなぜ、緊迫した場面でも打者を討ち取っていくのか、そのボールに込められた見えない力を測り知ることができなかった。

 彼の生い立ちやサイレントKと呼ばれた少年時代、そしてその障害ゆえに彼が挑戦したもの、そして目指すもの・・・それらすべてがかれのボールに込められていたのだ。

 昨年の快投、そして今年の度重なる失敗
 人は常に向上することを求められる以上、試練はつきものだ

 私はベンチに落ち込む、あまりにも悲愴の彼に、その生い立ちも含め、彼の課題を知った。

 悔しさや反骨心だけでは乗り越えられないの壁がある
 彼の悲壮感は自分を責めすぎるがゆえの気持ちが生み出すものであると私は捉えた。

 自分の全てを受け入れることでしか生まれない力がある。それは、魂からくる普遍的かつ、人が生み出せるもので最大の力である。

 石井よ、どんなことがあっても自分の気持ちが落ち込むのを許してはならない。
  勝負はその瞬間瞬間で力を出し尽くすものであり、そこからくる結果に自分の気持ちをハイにさせたり、安心させたり、落ちさせたりすべきものではない。
  勝負を楽しむのだ。ボールに込められる自分の感性や個性をすべて入魂することに挑戦するのだ。人の修行は静寂の中でこそふさわしい。その環境に君はいる

  


Posted by 比嘉正央 at 21:08Comments(0)先生のひとりゴト

2013年06月15日

我が家に住むハブ

我が家に住むハブ

私の家は那覇市内とは言え、急な坂の途中にある自然の穴場スポットです。
周囲は軒並み家が立ち並んでいますが、我が家の付近だけは雑草が生い茂り、蚊も多く、古い石畳によって私の古い家も崩落から守られています。

 この家は建築から30年以上にもなり、中古で購入したのですが、驚いたことになんと庭に頻繁にハブが出没するのです。どうも石畳の間や、すぐ隣にある人が踏み入らない空き地を拠点としているのではないかと思います。

 最初の出会いは庭の草刈をしているとき。ブロックを手でよけるとそこから1mほどのハブがニョニョロと出てきました。毒蛇は頭が三角なのでそのまだら模様と合わせ、すぐにハブとわかるのですが、私と一緒に驚いたのが、そばにいた飼い犬。威嚇しようとするもその鎌首もたげたハブの前になすすべもなく、目の前を通り過ぎるのを唖然として見つめている状態でした。

 その後も我が家でのハブの目撃情報は相次ぎ、小さな子供のハブが玄関前にいたとか、台風の雨風の中、巨大なハブが道路から我が家の庭に入っていったとか、色々な方が心配して連絡もくださるようになりました。

 それにしてもハブも立派です。昔は生活拠点もたくさんあったろうに、都会化する市内においてどんどん生活の場や仲間も失っていったはずです。我が家の周りのわずかのスペースに子孫を絶やさず生きているとすれば、それは奇跡に近いものです。

 蛇はもともと守り神です。家の周囲にいることを、恐怖には考えていません。それは子供たちも同じで、注意はしていますが、必要以上に恐れていることは無いようです。

 ハブはもともと臆病な生き物ゆえ、互のルールさえ守っていれば共存は不可能ではないと思います。

  


Posted by 比嘉正央 at 13:01Comments(0)先生のひとりゴト

2013年06月10日

扉を開ける

扉を開ける

つたない私のこのブログですが、私の恩人とも言える方がこれを読んでくださっていることを最近知りました。
 その方は私の人生の中で大きな橋渡しをしてくださった方です。私が当時勤めていた県立学校で出会いました。臨時の教師としてその学校に年度途中でやってこられたのです。

 初対面から年上でもあり、穏やかであたたかな雰囲気に自然と惹かれていくようでした。

 ちょうどその頃、私は人生の様々な難題にぶつかっていて、生きるための価値観を私の中で築いていくことを必要としていました。

 人間関係、教師という仕事の方向性、部活の指導、毎年のように続く生徒の事故死などなどが、すべて自分の肩に重くのしかかってくるようにさえ感じていたのです。

 しかしそんな中にも一筋の光が私を照らそうとしていました。それは、全く私が受け入れようとしなかったスピリチャルな世界が照らす光です。
 目に見えない力が物質に作用する「気功」の世界ともその頃出会いました。

 そして、その先生がさりげなく私に勧めてくれた本、それは「ヒマラヤ聖者の生活探求」という精神世界の古典書ともいえる名作で、1800年代にチベット、ネパールを探検したアメリカ人によって書かれたものでした。

 それはすべて著者の体験談で、ヒマラヤに住む聖者達の真実の教えがまさに宝石のように輝きを放ち綴られたものでした。
 それらの初めて出会う言葉にもかかわらず、私の心は虜となりました。それらの言葉にある真実性を私の心は全て受け入れました。それまで理性が受け入れようとしなかった世界を心は深い部分で、それを受け入れていく準備を整えていたのです。

 精神世界の真の捉え方は、特定の宗教を求めるのではなく、人間の生命や宇宙の根源や生き方とも関わるものだと私は捉えています。
 それらに深く関わるに連れ私の生活全般が変化していきました。

 一度開かれた未知の世界への扉はどんどん大きくなり、差し込んでくる光はどんどん大きく、様々な方面から飛び込んできました。

 その先生が勧めてくれたその本は、その時は小さな糸のようでしたがその先につながっていたものはとてつもなく大きく、そして終を知らない継続的のものでした。

 やがて
私もその先生も学校を変わり、その後お会いすることはほとんどなくなりました。
 しかし私はその恩を忘れることはありません。
 その方とあのタイミングで、出会うことになっていたのだと今ではそう思います。
 私の人生が大きく飛躍するのに、手助けをしていただいた重要かつ大切な人でした。

 Z先生  お元気でしょうか。
 ぜひ、連絡を下さい。また、たくさんの話をしましょう。楽しみにしています。

   masanaka2@goo.jp

  


Posted by 比嘉正央 at 08:42Comments(0)先生のひとりゴト

2013年05月13日

12歳の小学1年生

12歳の1年生

 昨年、私たちのNPOではネパールで貧困層の子供たちのための学校を開校した。その名もサティアおきなわスクール。現地の言葉で「真理の探究」という意味に「おきなわ」の名を足した。制服、教材から給食まですべて沖縄の方々の寄付によって運営されている。
 「人格形成教育」をコンセプトとしたこの小学校の1年生に一際身体の大きい12歳の女の子がいる。彼女は幼い頃に母親を病気で亡くし父親は隣国インドに出稼ぎに行ったままだ。今は親戚の家から学校に通っているが、そんな事情からこれまで学校で勉強することができなかった。

 その女の子は年下の同級生の面倒見もいい立派なリーダーだ。
 ある日、彼女は学校について私にこのように語ってくれた。
「私はこの学校とみんなのことが大好きです。私は良い人になるために勉強しています。そしてもっともっと勉強してもっと良い人になります。」と・・・・

ネパールの農村部の生活は終戦直後のまさに沖縄のようだ。土でできた家の壁、藁でおおった屋根。井戸があればいいほうでトイレはなく、近くの藪の中で用を足す。

しかし、子供たちの笑顔は世界中どこでも変わらない。一人ひとりが秘めた個性や能力と共にそれは美しく、純粋な彼らのハートはいつも私たちに「大切なこと」を教えてくれる。


  


Posted by 比嘉正央 at 19:15Comments(0)先生のひとりゴト

2013年05月13日

エベレスト


 この文章は過去に掲示した「みろあれがエベレストだ」を書き直したものです。
 先週の沖縄タイムス茶飲み話にも掲載されました。


小型機内で隣に座るネパール人が突然、窓の外を指差した。
「見ろ、あれがエベレストだ」。
透明感あふれる雰囲気の中に連なる壮大なヒマラヤ山脈
その中で一際背の高い世界最高峰の山、エベレスト。私は飛行機からさらに見上げるようにその山に魅入いった。
その三角に切り立った頂点は隠れ際の太陽の光を静かに受け入れている。頂上の雪の白がオレンジの光を受け、幻想的な色彩を醸し出している。その燃える惑星と地球の頂とのコラボはあまりにも厳かで表現する言葉が見つからない。それはまさに神の領域だ。
そして、その頂を目指す人間もいる。
エベレストはその表面の美しさと過酷な真実の姿でその者たちを誘うのか・・・
それは甘い言葉ではなく、聴く者の心に届くように語るのでもない。ただ何かをその姿と共に示すだけ・・
これまで何名のものがそこで歓喜し、断念し、あるいは命を落としたことだろう。
 そこに挑戦する者に人間の本質を探そうとするのは無意味なことなのであろうか。
 飛行機の窓の視界からやがて山々は見えなくなり、機は到着のため高度を下げた。その時、「神を追求する者が、そのみ姿を常に思い浮かべているように
 私もこの山の姿を忘れずにいよう」。そんなことをふと思った。
 絶景の中の絶景、この山を多くの人にも見せてあげたい
 ネパール首都カトマンズでは冬の乾季の間、このヒマラヤ山脈を街中からでも見ることができる。
 
  


Posted by 比嘉正央 at 19:13Comments(0)先生のひとりゴト

2013年03月28日

光を求める



 今日はある中学校の先生から学校再建に向けての相談を受けていました。

 その先生は、問題ある中学校に自ら希望して転勤したもののあまりの心労にとうとう心療内科に通うことになったようです。

 しかし、その先生はあきらめませんでした。

 
 試練の中にも活路を見出し子供のために頑張りたいという、一筋の光を追い求めています。

 なんと素晴らしいその姿勢でしょうか。

 そんな先生の努力は必ず報われると信じています。

  今、中学校は大変です。 心が折れてしまう先生の数も決して少ないものではありません。

 しかし、本物はいるのです。

 一人の愛に溢れた教師の存在は実に多くの力を生みだしていきます。
 
 短い人生の中、
 たった一人でも救うことができれば、それは有意義な人生と呼べるでしょう。

   

 試練を乗り越え子供のために尽力する先生方や学校をこれからも応援していきたいものです。

    


Posted by 比嘉正央 at 22:24Comments(1)先生のひとりゴト

2013年03月24日

真の人間教育を

  この記事は琉球新報社「論壇」に昨年掲載された文です。教育現場や先生への「エール」としてこれを投稿しました。

学力テストの結果に一喜一憂することなかれ
真の人間教育を

 全国学力テストの全国最下位が続いているが、その結果に落胆することはない。ここ数年の我が県の学校教育の取り組みには目を見張るものがある。私は毎年、小・中・高校で講演を行っているが、その中で確実に学校全体が進化しているのを感ずることができる。校長先生をはじめ一人一人の先生方の中にも課題を明確にし、真摯に子供たちと向き合う雰囲気を強く感じることができる。その意味において全国学力テストは重要な役割を果たしていると捉えることができる。

  しかし、テストの結果だけに目を奪われてはいけない。それを重視しすぎれば、点数を足早に上げるためだけの指導にもなりかねず、それは最も危惧すべきことである。他県と比較することで実績を図るのではなく、あくまで子供の「健やかな成長」という立場に立って計画を推進していってほしいと思う。大切なのは教育基本法にも謳われている「人格の完成」である。学力と人間性は車の両輪に例えることができる。どちらもバランス良くじっくりと育てていくことが大切なことだ。
そして何といっても現場で鍵を握るのは教師の資質である。教師にはプロとして子供たちへの深い愛情と「子供の学力を保証する」という責任を持って臨んでほしい。
 
 指導のための技術力向上はもちろん大切だが、それは先生方の人間性が土台にあってこそのものである。教師の生徒への愛情を子供たちは敏感に感じている。相互における信頼関係を築くことができれば、生徒の学習への意欲も自然とあがってくるはずである。
また、大切なのは全体の底上げである。特に学力や生活全般の支援を必要とする子供たちの手立てをより重視していくことである。そのような子供たちへの支援は全体を引き上げていく大きな力ともなっていく。
  最後に教育行政や現場への提言を述べさせてもらう。学校は子供も教師も活き活きとし、あたたかな人間関係の中で営われるべきものである。教師の人格向上や仕事への意欲向上を啓発していく視点で教員研修を推進していくことが大切である。また、現場は常に「子供のために」という意思統一の元、励むべきで、その意味でも校長のリーダーシップや人間性が求められる。
 多くの教師が過度のストレスに追い込まれているのも事実である。学力問題は教師だけの責任ではない。懸命に努力する学校や教師たちを県民皆で支援する意識が必要である。


  


Posted by 比嘉正央 at 10:29Comments(2)先生のひとりゴト

2013年03月23日

見ろ あれがエベレストだ

  小型機内で隣に座るネパール人が突然、窓の外を指差した。

     「見ろ、あれがエベレストだ」。


  透明感あふれる厳かな雰囲気の中に連なる壮大なヒマラヤ山脈
  その中で一際背の高い世界最高峰の山、エベレスト。私は飛行機からさらに見上げるようにその山に魅入いった。

     世界の頂点、天に最も近い場所。
    その三角に切り立った頂点は夕日を浴びながら、何かを語りかけてくるようにさえ思える

   そして、最も凄いと感じさせてくれたこと、それはその場所に登る人間がいるということ。
   これまで何名のものがその頂点で歓喜し、そして何名のものがその挑戦で命を落としたことだろう。
   命をかけても価値あるものがあることを挑戦者たちは発見するのだろうか・・・

     それに賭ける者が示す人間の本質とは何なのだろう?


    「人はどう生きるべきかを考えろ」 
   そんなことをエベレストは問いかけているようにさえ思える。
   
   それは優しい言葉ではなく、本質を静かに語るだけ
   聴く者の心に届くように語るのではない、ただ真理をその姿と共に示すだけ・・

    ちっぽけな人間と壮大な地球、そして宇宙

    どのようにして、なぜ、この宇宙は出現したのだろう

    そして、私たちはなぜ生まれてきたのか・・

    やがて尽きるこの命をどのように紡いでいくべきなのだろう・・・


 見つめているといつの日かもっともっと近くでこの山と対峙したいという気持ちが強くなる。
 それはもしかすると物理的なものではなく、真の意味での「自分の人生への挑戦」そのものかもしれない

   自分の脚であの山を目指す者の覚悟が今の私にあるだろうか・・

    「いいや答えはNO」

  頂点に立つ時の歓喜はその覚悟が生み出すならば、私も自分の人生の頂上を覚悟を決めて目指していきたい、と思った。

  神を追求する者が、そのみ姿を常に思い浮かべているように
  私もこの山の姿を忘れずにいよう
 
 
     絶景の中の絶景   この山々を多くの人にも見せてあげたい
  


Posted by 比嘉正央 at 10:06Comments(0)先生のひとりゴト

2012年10月27日

日本シリーズをどうよむか

 この記事は、私が日ハム栗山監督と大学時代からの仲間なので書いてみたものとなっています。
 勝手な解釈なので、読まれる巨人ファンの方はお気を悪くしないでください。 


ドラフト会議の大谷指名。
会見の監督の言葉は、内、外にも配慮した素晴らしい魂からの言葉でした。

 シリーズについて書いてみました。




日本シリーズをどう見るか

いよいよ、巨人と日ハムによる日本シリーズが始まります。
この対戦をどう読むか。今日は大きな見地から見てみたいと思います。

 まず、日ハム。このチームの優勝は監督の人間性を尊重する志が導いたものです。各解説者らのシーズン予想順位を見てもそれは明らかで、決して高い戦力とは言えない中、さらに主力のアクシデントも抱えながら全員野球で乗り越え栄冠をモノにしました。
 選手たちの結束力、そして監督への感謝の言葉など各場面でそれらがしっかりと示されていました。

 一方、巨人はダントツでのシーズン優勝。そして、クライマックスシリーズでは劇的な勝利を勝ち得ました。特に最終戦は全員野球で戦いきった感があります。

 しかしまた、私は巨人の優勝の影には、原監督に監督としてのあり方を思い出させた栗山監督の存在は大きかったのではないかとよんでいます。
 監督1年目の原監督と選手の結束力は見事でした。しかし、勝利へのプレッシャーは彼自身を縛り、いつしか戦術や厳しさに意識が注がれることとなってしまいました。「試合を見ていて苦しくなる」そんな感覚を昨年度ファンは感じたのではないでしょうか。
 「巨人プライド」、自ら作ったそのスローガンにチームは成長の頭打ちをされることとなったのです。成長のためにプライドは必要ありあせん。挑戦する心が必要でした。

 爽やかな印象、選手を尊重し支える栗山監督の姿勢は各チームの監督に影響を与えました。原監督はその中で、最も影響を受けたと思います。
 方向性さえ失わなければ、優勝できる戦力を巨人は揃えています。原監督は栗山から学びそれをシーズン途中に修正しました(私の勝手な考えです)。

 原監督と栗山監督。旧知の仲で、栗山が原監督を憧れ、尊敬の対象としていることは多くの場面で報道されています。
 それだけに、弟分でもある栗山日ハムとの対戦は原監督にとってはやりづらいものと彼自身は考えていたかもしれません。

 さて、話をシリーズに戻しましょう。
 国内にはこの2チームだけが残りました。国民の多くが注目します。
 大きな戦いにおいて、その行く先を握るのは、戦術ではありません。解説者らからは、「使える選手を見極められるか」という視点からよく話が出されます。
 多くのシリーズを経験した彼らからの本音でしょう。説得力もあります。

 しかし、大きな局面で重要なのは、それらすべてを決断する監督の心理状態です。
「勝ちたい」というエゴを、エゴのままにするのか、それとも願望成就の力とするのか、それらはすべて運命的な定めではなく、「運命をどう作るか」、その自由意思に委ねられます。
 
 日本シリーズという最高の舞台で両チームがそれぞれに持ち味を出した最高のゲームを楽しみたいものです。

 その鍵を握るのはやはり日ハムの先発が予想される吉川でしょうか。
 この一年、彼の成長ぶりは見事というよりも奇跡に近いものでした。
 クライマックスシリーズの先発時にもその成長ぶりが現れていました。
 そして今日は、シリーズという大舞台、さらにアウエイという中でのマウンドです。
 彼にはもう必要ではないかもしれせんが、何といっても結果にとらわれない自分の投球ができるか、がポイントです。
 最少失点での期待が彼を縛れば、力みが生まれ、流れを作ることはできないでしょう。逆に4,5点取られても「自分を失わない、自分の投球をどんな場面でも貫く」という姿勢を覚悟することが大切です。
 「勝つ」という使命よりも「シリーズの流れをつくる」というところに焦点をあてていくのです。

 このシリーズ全体の行方は、結局その「試合に望む姿勢」にかかっていると言えます。
 勝つための戦術にすべてを注ぎ込むのではなく、選手をどう活かすか、というコンセプトのもとに戦っていくのです。

 部があるのは日ハムです。

 クライマックスシリーズから両チームを追ってきましたが、選手の主体性は日ハムが上回っています。首脳陣が上から目線ではなく、一体となって気持ちが一つになっています。
 そしてシーズンを通して行ってきた戦い方を貫けるか、監督も自分自身を試されます。

 15センチ幅の丸太を地面に置き、その上を落ちないように渡ります。何度やっても難しくありません。しかし、それが地上10メートルの橋としての15センチ幅だとしたら、心情は変わり、ブレが生じるかもしれません。
 どんな局面でも自分を貫けるか、まさに「敵は我にあり」です。

 栗山野球は「自分らしさ」という範疇に収まるものでもありません。その自分らしさが「原則」からずれたエゴ的なものだとしたら「らしさ」を貫くことで、低迷へと陥ります。

 「人を活かす」「信頼」「深い人間愛」、それらが、この宇宙をつくりあげた根本原理と結びついているのです。

 このレベルにおいて、勝利の女神の目的地は、「信じる者の心」です。
 どんな局面でも「信じられているか」、そんな両者の心境を女神は観察しています。

 後世にも語り継がれるような、そんな素晴らしいシリーズになってほしいものです。



  


Posted by 比嘉正央 at 08:34Comments(0)

2012年10月19日

まだ見ぬ世界

 読んでくれる方のためにこのエッセイの説明を先にします。
 これはプロ野球、日ハムの栗山監督のことを書いたものです。
 私は彼と大学の同期で同じ野球部でした。
 彼は、昔から素晴らしい人間性を持った男でした。その根本は今も変わらず益々磨きをかけているようです。
 


まだ見ぬ世界

クライマックスシリーズが始まりました。
優勝した日ハムとの挑戦権を得るためのソフトバンクと西武の激戦。
どちらが勝ってもその勢いは、日ハム戦に続くだろうと思いました。

 実際,日ハムとソフトバンク、初戦の前半はそれを感じました。
 ところが日ハムはわずか1イニングでその劣勢を逆転させました。

 そして2戦目も同じ展開

 この勝ち方は常識的ではありません。単なる野球を超えたところで勝負しています。
 まるで大海の中からイルカの群れを見つけるように、僅かなチャンスを勝利へと結びつけています。それがイルカが出そうな場所ならまだしも、その気配すらないところから見つけ出している感覚なのです。

 思えばこの栗山という男
 学生時代からそうでした。

 試合を決めるべく決定的な機会が何故か彼に巡ってくる。打者としての彼はその時、決して良い当たりではなくてもそれを安打としてしまう。
 もちろんそれは野球だけでなく、いろいろな場面で「良い機会」が常に彼の周りに集っている。

 学生時代、当時科学しか信じなかった私は、彼を通じて人生の不思議さや奥深さを知ることとなりました。

 日ハムの野球は観ているものを十分に楽しませてくれます。単なるファンかどうかではなく、気持ちがワクワクさせられ、勇気も人と人とのつながりも感じさせてくれます。

 勝利が目的というよりも、それは目標であり
 大切なことをひとつのプレーやそのイニングにしっかりと表現しているようにさえ思います。
 戦っているというよりも選手皆が「自分と向き合っている」と表現した方がいいかもしれません。

 いよいよ3戦目
 今日も素晴らしい野球に期待したいと思います。
  


Posted by 比嘉正央 at 11:46Comments(0)先生のひとりゴト

2012年10月19日

30年目の授業

30年目の授業

10月11日
この日僕は、台風の影響で荒れた波の中を船に乗り西表島へ向かいました。
30年ぶりに、初任校船浦中学で講演を行うためです。
当時は生徒数27名。
大学卒業したばかりで何もわかならない僕をこの島の人達はあたたかく育ててくれました。
そして何より子供たち
家族のように付き合ったここでの3年間は、それはそれは愛おしい宝物です。
当時の生徒も今や40代。現在の船浦中学には、その教え子の子供たちが多数通っています。

前日から
どのように自分の心持ちを持っていけばいいのか少し迷っていました。
テーマは「生き方」
この島を去ってからの自分の生き方を見つめ直さずにはいられませんでした。
講演前にこれだけ緊張するのははじめてでした。

 船浦中学に着くと先生方はあたたかくもてなしてくれ、給食も一緒にいただきました。
当時と変わらない優しい味がしました。

 それからしばらくの時間、校内をめぐりました。
 整備された運動場、30年前とほとんど変わらない教室、体育館
 そして、穏やかな木陰を作ってくれた木々たち
 それら一つ一つに語りかけ、感謝の気持ちを伝えました。

 講演には保護者である当時の教え子たちも数名来てくれました。
 親子二代にわたっての僕の授業が始まりました。
 子供たちは誠実に向き合い、積極的に自分の意見も述べてくれました。
 彼らの純粋さと素直な気持ちに支えられ、講演をなんとか無事に終えることができました。時々、生徒だけではなく、当時の教え子を指名し朗読させたりしました。
 僕にとってその時向き合っている人たちは皆、変わらぬ愛しい人たちでした。

 幸せな時間でした。

夜は島に帰ってきている当時の教え子たち10数名と食事会をしました。

 夢のようでした。
 
 この30年の間
 教え子たちにもそれぞれの人生があります。昔と変わらぬその素敵な笑顔の後ろには、たくさんの苦労があったことも感じました。

 それでもみんな、素敵に日々を生きています。

 高校がない島のため、15で誰もが必ずこの島を離れます。
そして大人になって帰ってきた彼らはまた、次に還ってくるものをあたたかく迎えるようにここで生きています。やがて巣立つ我が子をしっかりと育てながら・・・

 30年ぶりにこの島で朝を迎えました。
 夜のあいだ中、窓から入ってくる爽やかな夜風が語りかけてくるようで、寝ていてもずっと意識がはっきりしていたように感じました。

 自分の人生の中でたかが3年という時間でしかないのに
 この3年はこんなにも僕の中で大きなものを占めていたことに気づきました。

 振り返れば・・・当時は何でもやりました。

 土曜日の晩、体育館にみんなを集めて朝までお化け話をしました。
 無人島にキャンプし、野うさぎを一晩中追いかけました
 わずか10名の野球部は保護者の小さなボートに水しぶきを受けながら1時間かけ、石垣島に行って試合をしました
 僕の住む崩れそうな古民家に受験前は皆集まり、勉強会もしました

 授業では
 国語の授業に僕の好きだった「幻魔大戦」というアニメ映画を教材にしました
 「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」は当然です
 英語では「WE ARE THE WORLD」を扱ったこともありました。

 今では絶対に許されないことです。
 自由が効く古き良き時代だったと言えるかもしれません。

しかし昔を思い出すたびに
たくさん失敗もして、決して「いい先生ではなかったな~」と今更ながら反省する次第です。

 けど、これからも彼らと共に生きていきたい、と思っています。
 
 教え子はいつまでたっても教え子なんですね
 彼らの人生の成功と幸せをずっと祈り続けたいと思っています。

  


Posted by 比嘉正央 at 10:50Comments(0)先生のひとりゴト

2012年06月17日

2番目の奇跡

2番目の奇跡

これは私が「性・エイズ」に関して電話相談を行っている中で実際に起きた「奇跡」です。

それは県外の男性からの電話相談でした。
「風俗に行きました。体調も悪い、HIVに感染しているのではないか」
そして、その男性は最後にはとうとう泣き出してしまいました。

 それが3日間、続きました。

 電話からもその優しそうな人柄が伺えるようでした。風俗に行ったことで自分を責めているようなところも感じられました。
 その人のことがとても気がかりだったので、着信録から時々、こちらからも電話をかけました。
 「HIVは侮ってはいけませんが、簡単に感染するウイルスではありません。あなたの場合もきっと大丈夫」

 こんなやりとりが続く中、彼は自分のことを語ってくれました。
 年齢は30代、子供もいる彼がなぜ風俗に行ったかを、そしてなぜ自分をこんなにも責めるのかがわかることを・・・

 彼は奥さんを事故で亡くしていました・・・
 それはご主人の実家に孫を見せてやりたいという奥さんの優しい配慮から・・・
 病弱の義父にそのことで元気になって欲しい、という想いから・・
 その途中で奥さんはご自分で運転する車で事故に巻き込まれ帰らぬ人となってしまったのです。
 小さなお子さん(男の子)二人は奇跡的に助かりました・・

 「なぜ、妻と子供だけを行かせてしまったのだろう」
 彼は自分を責め続けました。
 しかし、夜遅くまで仕事をする彼には一緒に実家に行ける時間さえもなかったのです

  そのうち、彼は死ぬことばかりを考えるようになりました。
 二人の子供を抱き海に飛び込もうか、それとも電車か・・・

 そんな折、同情した同僚たちがかれを励まそうと風俗に誘い、
 結局はそのことが、私と彼とをつなげることにもなりました。

 HIVは問題ないと片付けられても気になる体調不良。
 彼は精密検査のために病院を訪れました。
 そして、その病院から紹介された大学病院での検査で彼の奇病が発見されました。
 宣告「今の医学では治せない奇病、長くて10年早ければここ数年以内」

 それを告げられた時の彼の気持ちはどんなものだったでしょう。
 しかし、死は彼が渇望していたものでもあったのです。

 二人の子供の寝顔を見ながら、お風呂に無邪気に遊ぶ子を見ながら、保育園に向かいに来た父親に飛びついて喜んでいる子を見ながら、彼はこう考えました。
 残された日々、この子達のためにも少しでも長く生きよう・・・

 そんなことがあってから時折かかってくる彼の電話での声がハリのある声に変わっていきました。収入はいいが夜の遅い仕事を辞め、子供のために時間を作れる仕事へと転職もしました。
 子供のために一日一日を懸命に過ごす彼。

 そしてそれから数ヵ月後、1番目の奇跡が起こりました。

 病気の進行を図るべく行った定期診断。
 そこで彼の奇病が消えていることが判明されたのです。
 まだ、興奮冷めやらぬ病院から私はその報を受けました。

 彼の子供のために明るく生きようとするその力が奇病さえも克服する力になっていたのです。少なくとも私はそれを信じています。

 そして、3人家族の新たな人生が再スタートしました。

 おかげさまで私と彼との関係は電話を通じ今でもずっと続いています。
 NPOの事務所にその方の故郷で捕れた旬の魚が大量に送られてきたこともあります。
 
 最初の電話から4年。2番目の奇跡がおきました。

 二人の男の子は元気に育っています。
 二人は信号を渡るのが大好き。誰が一番先に向こう側へ着くか競争するのです。
 ある日曜日、遊園地から帰ろうとする3人に交差点の赤信号が待ち構えていました。
 青になる瞬間を捉えようと今か今かと待ち受ける二人。
 一人がお父さんの右手を、一人が左手を握り、3人で「ヨーイ」の姿勢。

 その時・・・・

 後ろから香水の匂いが強く漂ってくるのを3人は感じました。
 それは生前、その子のお母さんが好んでつけていた香水。
 おもわず、3人で後ろを振り返りました。
 もちろん・・・そこには誰もいません。
 その直後です。
 渡ろうとした交差点を一台の信号無視の車が猛スピードで走り抜けていきました。

 「もし、あのまま渡っていたら・・・」

 彼は私に電話でこう話しました。
 「何かいつも妻に護られている気がしていた、時々その存在を感じるようなことがあった」「しかし、今はそれが確信に変わった」と。

 この4月。二人のお子さんは晴れて小学校へ入学しました。実は双子だったのです。
 母親のいない不憫さに申し訳ないと感じつつも彼も明るく頑張っています。
 その彼が今一番気にかけていること、それは「児童虐待」です。そのニュースをみるにつけ優しい彼は心を痛め、何とかしたい、と思うようになりました。今では地域でも積極的に子供のための活動に関わるようになっています。

 いつの日か彼の誠実さが起こす3番目が起こるかもしれません。
 彼は生きています。
 運命を受け入れ、自分の使命に向かい歩んでいます。
 いつの日か彼とも会える日が来ることを信じています。
 二人の子の成長を心より祈りたいと思います。
 
 
  


Posted by 比嘉正央 at 10:36Comments(1)先生のひとりゴト

2012年06月15日

一番目の教え子

一番目の教え子

私の一番目の教え子はTという男です。
彼とは大学3年時の教育実習で初めて出会いました。

東京にある大学付属高校の3年生でした。野球部でもあった彼とはすぐにウマが合い、その付き合いは今でも30年続いています。
わずか2週間の実習でこんな素晴らしい付き合いが続いているので本当にありがたいことです。

ちょうどその実習期間に学園祭があり、彼はクラスの演劇で主役を務めていました。普段からは想像できない(?)迫真の演技で多くの感動を呼び見事学園祭の最高の賞をクラスは勝ち取りました。全員の団結も見事なものでした。
彼は志も大きく、大らかな性格でもあり皆の人気者的存在でもありました。
野球部では4番でしたが、華麗な打撃、というよりも予想外の打球(どん詰りなど)で試合を決めていくというタイプだったと思います。
 
 傑作なのは彼の引退後、自分の背番号を密かに恋心を抱いているクラスの女の子に手紙と共に郵送したことです。その子も驚いたことでしょう。その後その子からはなんの返事もなかったので、その背番号がどうなったかは未だに謎のままです。

 彼の大学時代は毎年夏休みに私が務める西表島を訪問。最後の夏には仲間数十人を引き連れ来島。一生の思い出になる楽しいひと時を過ごしました。
 そんな彼も大学を卒業後、アメリカの大学院に進学。今では有名大学の教授を勤めながら全国で観光業に関する様々な大プロジェクトを手がけています。
 彼曰く「その道の第一人者」だそうです。もちろん私は彼の言葉を信じていますが、その関係で頻繁に沖縄にも来るようになり、深いご縁を感じる次第です。

ちなみに彼は2度結婚しました。それがどれも同じ相手というところも彼らしさです。
現在は二人のお子さんもしっかりと成長し両親を喜ばせているようです

「沖縄のために・・・」それが口癖の彼。東京生まれ、東京育ちの男は、純で真っ直ぐな心を武器に人生をしっかりと歩んでいます。

 出会い、それは大きな財産でもあるのですね。
  


Posted by 比嘉正央 at 07:50Comments(0)先生のひとりゴト

2012年05月11日

ある高校入試の面接で

   ある思い出  ~高校入試の面接~

 ある年の高校入試面接のことを思い出しました。
その年の面接はいつもと違うことがあったのです。
それは、
この学校に初めて車椅子の生徒が受験したことです。
偶然にもその生徒の面接官に私はなりました。
一人の職員が約10名の受験生の面接を担当するのですが、面接官にも一通りの質問事項が用意されます。
「志望の理由は?」
「入学後はどんなことに頑張りたいか?」
などと、ありきたりのことです。
それに対して受験生もあらかじめ質問を予想していて
「はい、僕がこの学校志望したのは・・」などとまるで用意された文章を読み上げるように答えていきます。中学校で何度も練習をして覚えているのです。

 私はそれがつまらないので、受験生がびっくりしてしまうような質問を時々行なっていました。その生徒の本当の思いや心の声が聞きたかったのです。

 さて、その車椅子の生徒の面接の番になりました。
 始めは、用意された質問事項の質問です。
 しかし、その車椅子の生徒S君は、はじめから自分の思いを素直に話していきます。

 いろんな質問を投げかける私が何を聞きたいのか? なぜそんな質問をするのか、という聞き手の意図を読みとったようにS君は答えていきました。
 それは、表面的なものではなく、心の奥深くから出てくるような素直で思慮深い答えの数々でした。そして誠実に答えようとするS君の姿勢からも人並みはずれた、10代とは思えない感性を感じることができました。彼はきっと大きな使命を持って生まれてきたのです。

 彼は晴れて入学。
 そして、面接のときから卒業するまでずっとS君を付き添うお母さんが傍にいました。お母さんも苦しみを外に出さず、何でも笑顔に変えていく素晴らしい力を持った人でした。

 S君は卒業後どうなったのでしょう。
 はい。在校時からそうであったように、私とは深い付き合いをしています。お母さんも一緒の家族付き合いです。

 しかしS君は僕との距離をしっかり測っています。離れず、近すぎず、という感じでしょうか。
 あまり近すぎると離れられなくなるのを彼は感じているのではないか、と僕は勝手に考えています。「もうしばらくは僕を自由にしてくれ!」という感じです。
 いつか彼の心境を聞きたいと思いますが、ときおりお母さんと僕の噂話もしているようです。その時は在校時と変わらず僕の名を呼び捨てにし、笑いこけているようです。

 彼が今後どんなに素晴らしい人生を歩んでいくのか、僕は彼に対する期待と共にそれをいつも楽しみにしています。

  


Posted by 比嘉正央 at 14:12Comments(0)先生のひとりゴト

2012年04月06日

栗山監督ののサイン

  栗山のサイン

 私の仕事で現日本ハム監督の栗山英樹氏を沖縄へお呼びしたことがありました。
 教師向けの講演会の開催です。2年前でした。

 その講演会には高校生たちも大勢来てくれていて、講演後はそのサインを書くために栗山氏は飛行機時間ぎりぎりまでそれを手がけてくれていました。

    そんな中、私はある少年のサインをお願いしました。

  それは少し前、私がある中学校に行ったときに出会った男子生徒へのサインです。

 彼は人に言えない大きな悩みを背負っていました。
 しかし、彼は私に勇気を持って手紙を書き、電話をくれ、それらを打ち明けてくれたのです。

  私の応対は彼の悩みを解消できるほどのものではありませんでしたが、彼の素直さや優しさ、人への配慮、誠実な生き 
 方などから逆に私のほうが多くを教わった気がします。

    栗山は色紙に彼の名を書き、その横に大きく「夢は正夢」と力強い文字で書いてくれました。

 ちょうどその頃から受験で忙しい彼との連絡は途絶え、サインをずっと渡せずじまいでいました。

  そして・・・

 あれから2年たち開幕3連戦を日ハムが終えたとき、偶然にも彼からのメールが久しぶりに届いたのです。

 その後の電話では彼の久しぶりの声を聞きました。
 その日のうちに私は本棚にしまっておいたサインを取り出し、彼へと届けました。

 あの頃とは随分顔つきも変わっていました。思わず「イケメンになったな~」とはじめに声をかけました。しかし、その端正な顔つきの中にも彼の優しさはしっかりと現されていました。電話でサインがあることを伝えたときに泣いて喜んでくれた彼の優しさがです・・・・・・

 「夢は正夢」

 彼の夢が叶うことを祈っています。

 ところで・・あの頃彼が抱えていた悩みは解消できたのでしょうか?
 いや、きっとそれはずっとあとのことでしょう。
 それでも「その試練が自分を成長させてくれていたんだ」と実感できる日はかならずやってくると信じています。

 「夢は正夢」・・・
 いい言葉ですね
 
  


Posted by 比嘉正央 at 16:55Comments(0)先生のひとりゴト